はい。どうも、こんにちは。ミケル・キャプリョンチ・イ・ロッジェです。
え?知らない?
私ね、ポレンサ生まれのピアニストなんっすわ。
アルボラダ・デ・ポレンサとかね、神の愛の十字架とか作曲させてもらいまして。
え?知らない?
マヨルカではまぁちょっと有名なピアニストなんっすけどね。
すいません。マヨルカの偉大な作曲家をいじってしまいまして。
と言うことでございまして今回は、ミケル・キャプリョンチ・イ・ロッジェさんの故郷、ポリェンサ(Pollença)あ、ポレンサねの日曜市でお買い物でもしてみませんか?
古い伝統が息づくマヨルカの街ポレンサ(Pollença)
はい。ここポリェンサ、魅力的すぎて何からお伝えしたらいいのか?さっぱりわからない程、大好きな街の一つなんですけども、とにかく好きです。
何がいいかって、美しすぎる自然や街並み、古代遺跡もさることながら、ポレンサで開かれる祭りがたまらなくそそられるわけなんですわ。
うん。そうね。
聖木曜日の行列・受難日(いわゆる最後の晩餐とイエス磔刑の日)は、マヨルカの村々でそれを模して実演するお祭りがあるんですけども、演者がボランティアなもんで年々姿を消している祭りなんですね。
ここポレンサでは毎年、まだ行われておるわけですよ。ね?興奮するでしょ?
あとはねぇ、イスラム海賊をやっつけたお祭り。映画300(スリーハンドレッド)みたいで興奮するでしょう?
ひゃっほーい!!レオニダース!!!
他にもまぁあるんですけども、歴史的にはそんなに古くない祭りですが楽しいですよね。
と言うわけで、いかがでしたでしょうか?今回はポレンサの何がいい?を一言でまとめてみました。
それでは行ってみましょうポレンサの日曜市場
あ、やっと本題ね。
ポレンサでは毎週日曜日、メイン広場を中心に青空市場が開催されているんです。
大体朝の8時頃から13時半くらいまでですね。8時とか行っても、あんまり店開いてないんですけどね。
300店舗くらいが、こうギューッと出ておるわけです。
規模で言うとシネウやアルクディア程ではないですが、なんかこう、どことなくおしゃれ感があるのがポレンサ市の特徴です。
有機栽培野菜とかも並んでおるわけですよ。
はい。毎度おなじみマヨルカかごバッグ。
あれね、気づいた。他の市場と違ってレイアウトもちょっとセンスいい感じだけど、売ってるものにおばあのパンツとかがない。
I LOVE MALLORCAとか書いたTシャツがない。
きっついニオイを放つ皮製品の店がない。
道沿いにあるショップがお洒落だ。
もちろん、家畜も売ってない。
店の店員さんがフランス語で会話している。
歩いていると英語で話しかけられる。
あ、これ。わかりにくいけどフロール・デ・サルの店舗です。
花屋さんまで何か知らんけどお洒落だ。
じいさんばあさんが、多少混乱してきたのでバルに入る。
バルもアンティークでお洒落だ。
ウエーターさんが、Tシャツと短パンじゃない。
コーヒー、美味しい。
あ、出口・・・
ポレンサ旧市街ってどんな街?
ここポレンサの旧市街の家は、17世紀から18世紀にかけて建設されたものが多いんです。
20世紀初頭から、多くの芸術家がやってきてたんですけど、画家や音楽家だけでなくってアガサ・クリスティーも滞在して書いてるんですねぇ。「ポリェンサ海岸の事件」。
アガサファンとしては、かなりときめきますねぇ。
滞在したのはポルト・ポリェンサで旧市街じゃないんですけども。
これ、短編集「黄色いアイリス」の中の、探偵パーカー・パインが活躍する作品です。
1936年に描かれた作品で、当時のマヨルカの観光事情や、ポレンサに芸術家志望の若者たちが集まっている様子が少し描かれています。
遺跡編で詳しくご紹介すると思いますが、ポリェンサの街の名前はローマ都市ポリェンティアに由来しているんですね。
テンプル騎士団に渡ったポリェンサの教会
ポレンサ旧市街にある、天使の聖母教会は1236年に設立。その4年後マヨルカ北部の土地を与えられたテンプル騎士団に渡されました。
テンプル騎士団の解散後、マルタ騎士団に譲渡され、現在の建物は1714年から1790年の間に建設されています。
はい。テンプル騎士団。ワクワクしますね。一体彼らは何を見つけたんですかね?
スペインには聖遺物が多く保管されているらしいんですが、何気に家の村の教会にもイエスが架けられた十字架の破片が放置されてるんですねぇ。
テンプル騎士団って何ね?
いつの間にか聖地エルサレムがイスラムに奪われちゃったんで、ローマ教皇が「奪還してこい!」と送り出したのが十字軍。
ユダヤ、キリスト、イスラムの聖地としてお馴染みのエルサレム、十字軍遠征でキリスト教がエルサレム王国を建国したのはいいんだけど、まぁ情勢が不安定過ぎる。
だって、周りめちゃめちゃ囲まれてるんだもん。
ってことで、巡礼者の保護やエルサレムの防衛を目的に結成されたのが「テンプル騎士団」。
当時、王よりも権力を持っていた教皇の公式騎士修道会ってことで、色んな特権を与えられるんですね。で膨大な財産を築くわけです。
でもでも、十字軍遠征の間に、教皇と王の立場逆転してきちゃうんですね。王優位の時代に突入していくことになります。
そんな中、アナーニ事件でお馴染みフィリップ4世が、騎士団の財産欲しさにテンプル騎士団も逮捕。騎士団解散へと追いやるわけです。
アナーニ事件は、当時強大な権力を持っていたローマ教皇を、フィリップ4世が逮捕。
あり得ない展開にローマ教皇が憤死するという事件ですね。怒り過ぎてお亡くなりになったわけです。
フィリップ4世は、拷問によってテンプル騎士団に事実無根の罪を自白させるんですね。
テンプル騎士団が逮捕される1307年10月13日(金)、これが不吉とされている、13日の金曜日の元になってるんじゃない?って説がありますね。
最後のテンプル騎士団員が処刑された1314年、フィリップ4世が脳卒中でこの世を去ったのも同じ年。
テンプル騎士団の禁止を決定した、教皇クレメンス5世がこの世を去ったのも同じ年。
一説では、生きたまま火刑に処される中、総長ジャック・ド・モレーが呪いの言葉をかけたのだとか、かけなかったのだとか。
テンプル騎士団とマヨルカの関係はと言うと、ジャウマ1世がマヨルカを征服するときに支援したというご縁なわけです。
支援の謝礼?として、マヨルカ北部の土地を受け取るわけです。
小高い丘の小さな教会
ポレンサ旧市街にある小高い丘、エル・カルヴァリオ。
ここの最初の所有者は、テンプル騎士団だったんですね。
丘の上には小さな教会があって、そこへ続く階段は365段なんですね。
この丘は14の十字架で囲まれていて、この階段はイエスがゴルゴダの丘を十字架を背負って歩く苦難を思い起こさせますね。
真夏にリュックしょって登るのは、ちょっとしんどいです。
先ほどご紹介したキリスト受難を再現するお祭りも、ここで行われます。
この場所の最初の名前は、Puig de les Forquesなので、丘でなくて山なんですね。
ってなことで、今回はポレンサの魅力をほんのちょっとご紹介しました。