はい。どうも、チャールズ・ブロンソンです。
マヨルカくる?で何でメキシコの世界遺産か。はい、そうですね。ネタ切れになったからです。

じゃなくて、前回の「カリフォールニアにアーモンドを伝えたのはマヨルカの宣教師ですが」が長くなったので、こちらでひっそりとですね、続きをと思いまして。
メキシコ合衆国の旅行をご計画中の方が検索して、このページが出て来ちゃってたら、すいません。今すぐ、閉じてください。
田中メキシコの地を踏んだことは一切ございません。そして基本、ふざけてますんでご了承ください。




はい、と言うことで、今回はスペインのマヨルカ島宣教師、ジュニペロ・セラの足跡をたどる架空の旅へ行ってみましょうかね。
では、本日も行ってみましょう「トメウおじいのLet's妄想徘徊 in メヒコ!世界の遺産さん、こんにちは」

今回のお題目
メキシコの世界遺産の一つシエラ・ゴルダの伝道所群
はい。と言うことで、いつものちょっと前置きから。
えー。メキシコの世界遺産と言うと、古代都市テオティワカン、チチェン・イッツアとか思い出すんですけども、結構多いですよね。
マヤ文明に関する古代都市や歴史地区などの文化遺産が27件、自然遺産が6件、複合遺産が2件と、合計35件が世界遺産として登録されています。
世界遺産の数ランキングでは7位。
何気にスペインは48件と3位、1位はイタリアと中国でございます。


そのメキシコ世界遺産の中の一つが、ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群なんですね。
それを、マヨルカの宣教師ジュニペロ・セラが設立した、というわけでございます。

お口をお慎みなさい!今やジュニペロさんは聖人ですからね。
ケレタロ州シエラ・ゴルダってどんなところ?
シエラ・ゴルダは、生物圏保護区にも指定されている標高3,000m以上の山がある山岳地帯で、数千種の動植物が生息しておるのでございます。
メキシコシティの北約300㎞に位置し、車で移動すると大体6時間くらいです。
歩いたら67時間ってグーグルマップに書いてましたけどね。

ケレタロ州都からだと、バスで3時間半でたどり着けるらしいです。
シエラ・ゴルダの中心地はハルパン。正式名称がJalpan de Serra(ハルパン・デ・セラ)と申します。
あ?気づきました?セラって付いてますよね。
これ、ジュニペロ・セラから取ったんです。
1976年ジュニペロさんの故郷、マヨルカのペトラと同盟協定を結んだあと、改名したんですね。
ちなみにハルパンは、現地のナワトル語で「砂の上の場所」という意味でございます。
では、ジュニペロさんが設立したシエラ・ゴルダのミッションのおさらいです。
ハルパン(Jalpan):Santiago mission
コンカ(Concá):San Miguel mission
ティラコ(Tilaco):San Francisco mission
タンコヨル(Tancoyol):Nuestra Señora de la Luz mission
ランダ・デ・マタモロス(Landa de Matamoros):Purísima Concepción mission
この5つすべてのミッションが、UNESCO世界遺産、ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群でございます。
今回は、地域ごとに見てみましょうかね。
ケレタロ州ハルパン・デ・セラ市(Jalpan de Serra)のミッション
はい。ケレタロ中心部からバスに乗ること3時間半。ようやくハルパン・デ・セラに到着でございます。


うん。スペインも大概スリ多いけどね。
メキシコもスペイン語。中南米のスペイン語はちょっとスペインとは違うんですけども、マヨルカ語でも会話には困らないと思いますよ。

ハルパン・ミッション Misión Jalpan Parroquia de Santiago Apóstol
ハルパンの中央広場にそびえたつのが、このハルパン・ミッション。
ジュニペロさんが5つのミッションのうち、最初に携わった場所です。
1751年から建設が始まり、1758年に完成。
メキシコシティより石工、大工などの熟練した職人を集め作業にあたりました。
建築作業は先住民パメ族も携わったので、彼らの感性が活かされた緻密でありながらも素朴な彫刻と色使いが美しいですね。写真、曇ってるけど。

もちろんパメ族さん、何世紀も前から寺院、偶像を建設していて、独自の文化を築いていたわけです。
収集と狩猟を主に生活していましたが、農業も行っていたんですね。
そこに土足で踏み込んできたのがスペイン人。そして、キリスト教。
ジュニペロさんが到着した時も、パメ族とスペイン軍の争いは続いていました。
パメ族が行っていたのは、移動式ゲリラ戦術。それによってスペイン軍の侵略から免れていたんです。
キリスト教は伝わっていましたが、この地区に住む住民はミサにも参加せず、混乱した状態でした。
タンコヨル・ミッション Nuestra Señora de la Luz de Tancoyol
ハルパン・ミッションから徒歩で12時間ちょっと。たどり着いたのがタンコヨル・ミッションです。

あなたですよ?ジュニペロさん歩いたから、あんたも歩け言うたの。
1760年に建てられたファザードは、5つのミッションの中で最も精巧に作られていると言われています。
この交差した赤と白、赤は先住民の色、白い壁は白人の色を示しています。上部のレリーフには聖フランシスコの非難が描かれています。

ジュニペロ・セラがまず行ったのは言語の習得。パメの言葉を習得するのに、かなり苦労したそうです。
ジュニペロさんはキリストが十字架を背負い、ゴルゴダの丘で磔刑されるまでのストーリーを演じ、パメ族の長老が12人の使徒を再現するなど、説教以外でもキリスト教を伝えていきます。
牛、ヤギ、羊、農業用具を持ち込み、パメの男性は農業を、女性は紡績、縫製、編みを学んでいきます。
ミッションは、キリスト教布教だけでなく、その土地の貧困を援助するためのものでもあったんです。
しかし、ジュニペロさんが対面したのは、改宗した先住民の問題だけではありませんでした。
スペイン兵士、入植者、ミッションの先住民、それ以外の先住民の対立に悩まされていたんです。


ケレタロ州ランダ・デ・マタモロス市(Landa de Matamoros)のミッション
タンコヨル・ミッションから自転車で3時間半。着きましたのが、ランダ・デ・マタモロス市でございます。

まぁ、高低差が激しい土地なんで、逆に自転車辛いかもですけどね。
そんなわけで、1月はー2℃5月には43℃という、かなり過酷な環境だそうでございます。

ティラコ・ミッション San Francisco del Valle de Tilaco
ティラコ・ミッションはランダ・デ・マタモロス市の中心地から、さらに離れた山奥にたたずんでおります。
1758年に建設され、最もシンプルで厳格なデザインです。装飾はほとんどなく、ファザードにはアッシジの聖フランシスコの栄光が描かれています。

そりゃもう、イメージでなんとか。
1743年スペイン軍がパメを制圧した後、スペイン当局はフランシスコ会宣教師だけでなく、スペイン兵・メキシコ兵とその家族もシエラ・ゴルダに送ります。
兵士たちは先住民の監視と制圧、スペイン王国の土地確保が任務だったんですね。
兵士たちは自分たちの町を建設しようとします。
しかし、その建設予定地が、クリスチャンへ改宗した先住民の畑と合致してしまったんです。



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ランダ・デ・マタモロス・ミッション Santa María del Agua de Landa
はーい。ティラコ・ミッションからさらに徒歩4時間半、サンタマリア・ミッションに到着です。

ここは1760年から1768年に建設された、シエラ・ゴルダ最後のミッションです。神の都市を象徴しているのだとか。
ファザードに描かれている聖人は、シエナの聖ベルナルディノ、聖ヨハネカピストラン、聖ドミニク、聖フランチェスコなどでございます。
ジュニペロさんとその教区を管轄としている聖フェルナンド大学はパメ族を支持し、宣教地域での植民地定住を禁止します。
労働に対しての正しい賃金支払いなどと共に、長い法的闘争が行われ、1755年パメ族と修道士は土地を取り戻します。
ミッションの生活に順応したパメ族は、トウモロコシや豆、カボチャなどを育てるために割り当てられた土地や牛、種を受け取ります。


はい。ではヌエバ・エスパーニャに伝えられた、皆さん大好きな物と言えば・・・

はい。正解。さすが、チョコレート好き民族めが。
チョコレートがスペインに来た!
えー。チョコレートの原料カカオは、ナワトル語でcacahuatl。
先住民たちが、カカオに樹蜜とトウモロコシの粉を加えて作っていた飲み物の名前が、なんとxocolatl(ショコラテ)。
そう、あんたたちマヨルカ住民が、毎朝飲んでいるアレですよ。アレ。

カカオの樹の学名はtheobromo(神の食物)。マヤやアステカの人々の間では、カカオは神様からの授かりものとされていたんです。
アステカでも一般人にとっては高価なもので、カカオは通過として使われていたそうです。
有難いですね。
ケレタロ州アロヨ・セコ市(Arroyo Seco)のミッション
ケレタロ州の北に位置するのがアロヨ・セコ市です。
ほとんどの人が100人未満のコミュニティに住んでいて、農業、畜産業、林業など伝統的な産業を行っています。
メキシコの中で最も貧しい地域の一つで、多くの住民がアメリカ合衆国へ出稼ぎに出ています。
コンカ・ミッション San Miguel Concá
はい。お疲れ様でした。これが5つ目のミッションです。
サンタマリア・ミッションからハルパンに戻り、アロヨ・セコ中心地に向かう途中にコンカ・ミッションはあります。
サンタマリア・ミッションから徒歩12時間でございます。
1754年に建設が開始され、シエラ・ゴルダ5つのミッションの中で一番最後に完成した、一番小さいミッションです。
大天使ミカエルに捧げられたファザードのテーマは「信仰の勝利」。
そして、このミッションは最も先住民固有の要素が光る建物になっています。
頂上にある三位一体のイメージには、ウサギと双頭のワシが施されていて、これはパメ族のシンボルなんですね。
グアダルーペの聖母や柱の聖母も有名ですよ。
ジュニペロ・セラたちが去り、世俗的な聖職者に引き継がれた後、多くの先住民はここを離れます。
半遊牧民であったパメ族を、教会を中心としたコミュニティグループで統制し、新しい宗教への順応と職業支援を行うことは、並大抵の努力ではなかったはずです。
ジュニペロさんは、悔い改めの説教を行うときには、片手に大きな石、もう片方に十字架を握りしめながら石で胸を打ったとされています。
また、地獄をテーマにした説教では、カスピトーラのヨハネをまねて、ろうそくの火で彼の皮膚を焼いたとも言われています。

そんなん目の当たりにしたら、私も何か知らんけど改宗してしまいそうです。

と言うわけで、ジュニペロさんの足跡を辿る旅第1弾、「シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群」妄想旅行でございました。

あ、そうね。歩いたら何日かかるんでしょうね?
レンタカーにするか、ガイドさんにお願いするのが一番かと。
色んな旅行会社の見積もりが一括で無料で取れちゃいます。
自力旅行計画の目安にもなるので、取ってみると面白いですよ。
では、次回ジュニペロ・セラは博物館へGO!
